店主のひとりごと ~2019年度~

なんか色々とおバカなことを書きたくなって

『店主挨拶』のタイトルを改めました。

虫に関係あることもない事も頭に浮かんだよしなし事を書き連ねてみます。

この趣味の将来

 

先日、隠密同心から一報があった。

今年の1~2月に青森の特別保護地域で違法昆虫採集をしていた輩が連続して逮捕されたということであった。

このことは報道されてないので事実でない可能性もある。

しかし、我らの同心から挙げられてくる情報の精度は極めて高いことから事実である可能性は十分と捉えている。

短期間に複数人が逮捕される・・・それが我らが青森県でという嘆かわしさよ・・・。

輩のタ-ゲットは状況からみて恐らくオオクワだったのではないかと思われる。

オラ達から見れば信じられない大胆な違法行為なので、あるいは生半可な知識だけ得た半素人の犯行だったのかも知れない。

いずれにせよ趣味の世界であれやってはいけないことを先に知りえる環境作りも必要かなとは思う(極めて難しいが)。

 

前述の件をフィニッシュ君に連絡したら、青森を含む東北地方にも鹿だけじゃなく、猪まで北上して入り込んできた点を踏まえてその監視と対策のためにお上が特別保護地域な監視装置の設置を簡易化する許可を法案として出したように聞いた。

これが事実なら前述の違法採集者は監視される可能性が高く、違法採集の抑止力になるかも知れない。

ただ、この電話中にこの話をしてたら、調査人の仕掛けたトレイルカムの画像に写ってた獣は鹿でも猪でもなく額にM字のマークを付けたホンドキツネだった・・・と想像したら笑いが止まらなくなり彼には失礼した。

 

本年度3月24日版の東奥日報に記載されていたが、青森県では10年ぶりにレッドデータブックを改訂し公表した。

これは絶滅の恐れがある野生生物を分類したものだが、既に絶滅扱いだった猪とニホンジカが北上してきて『要調査野生生物(Dランク)』に大きく引き下げられた。

大きく引き下げられたものの、この評価は後の影響を熟慮したものであろうか?。

ハンタ-はもう既に6~7年以上前にこの異常に気が付いて警鐘を鳴らしていたにも関わらず国も行政もほぼ対応しなかった。

知り合いのハンタ-が今直ちに青森、秋田、岩手のハンター総動員で駆除しなければ侵入は防げないと言っていたのはもう5年も前だ。

気候の変動にもよるだろうが今後増殖して農作物に莫大な被害をもたらすことは想像に難くない。

先のハンタ-がしみじみとオラに言ったが『山の牧草地に鹿の姿が見えたらもう終わりだ(この段階から爆発的に増えるらしい)』。

 

今回のレッドデータブック改訂に際して???と思ったことが一つある。

青森県のオオクワガタが生息環境の悪化によりDからCランクにひとつ上がったとある。

これがどうにも腑に落ちない・・・。

国は国勢調査なるものを実施してるし、同時に動植物の生態調査もしている。

だが、動植物の生態調査に関しては正確にその増減を把握してるとは思えない。

オラ達はほぼ主にライトトラップの手法でオオクワガタ他を採集してきたが、月齢や天候によってスタ-トが悪い後半が伸びなかったはあるものの結局年間採集数はずっとあまり変わらなかった。

この十数年で発生数が極端に変わったと感じたのはミヤマ、アカアシ、ノコギリ、カブトムシ、ヒメオオクワだ。

だけどこれらも2~3年経てば復活してる。

これらの発生が極端に減少した際に共通しているのは前年に大雨が降っていること。

つまり、それらの生態から言って多くが溺死した可能性だ。

オオクワはどうかというとアカアシ同様材産みだがアカアシほど対応能力が高くない故に落ち枝や倒木には産卵し難い。

立ち枯れの根部に産卵場所を確保することはあるが、ある程度に適度な湿度を保っていられる環境であることが生存条件と思われる。

よってオオクワの死滅に大雨は前述の種ほど影響は少ないはずである。

にも拘わらずDからCランクに上がったとは何が要因したのか。

検証場所と方法が適切だったのか?という疑問が出て来る。

今回の調査結果の調査場所は十和田の奥入瀬渓流を主体としてないか?という疑問が出て来る。

遊歩道を散策中の方に落ち枝が落下して命中し、重傷を負ったことから管轄である青森県と訴訟になり、県が敗訴したことから立ち枯れや枝枯れの多くを毎年伐採することで材に産卵する虫に多大な影響を与えたのは明白である。

この際に最も影響が著しかったのは我々クワガタ屋にとってはアカアシであるが他の虫にとってもその影響は多大であったろう。

昆虫が極端に絶滅寸前とか減少する要因は自然現象もあろうが、その最大要因は人の経済活動による無秩序な開発によるものが明らかに大きい。

昆虫採集愛好家が=環境破壊者とイメ-ジされないよう願う。

 

 

 

 

 

 

【2020.3.3 ついに来た来たNHK集金人】

 

十年以上我が家を訪れなかったNHK(日本秘密警察)の集金人が遂に来た。

待ってたぜェ~!。

だいぶ前の記事にも書いたが、まだ親父が生きてた頃に自衛隊上がりの集金人が来たことがあった。

両親が認知症の発症をし、やむなく介護のため勤め先を退職して間もなくのころであった。

その頃までは我が家でもテレビは見てたのだが、親父がNHKの受信料は払う必要がないという強烈な思想だったのでほぼ払ったことがなかった。

一度だけ親父が留守の際に母が集金人に払ってしまい、その際の親父の発狂具合ったらなかった。

払ったら認めたということになる、お前は何てことしてくれた!という具合だ。

その後来た集金人は親父が追い払ってたみたいだが、また数年してやってきたんだな。

呼び鈴に出た母が誰かとモゴモゴ対応してるみたいだったから二階からオラがおりてみると集金人だった。

集金人はテレビ見てるでしょ、払ってくださいなと言う。

そこでオラはこう答えた。

①オラと母は払ってもいいと思ってるが父が許さない。勝手に払うと発狂する。

②オラの家はHNKは見ない(と言うことになっている)。

③オラも今は無職で家のカマドは親父である。

④徴収したいなら親父を説得して徴収してほしい。

集金人は、親父さんは今どこにいますかというので、〇〇会病院の7階(閉鎖病棟)にいるから、徴収したいなら親父と直接交渉してほしい。許可が必要ならオラも立ち会うと告げたらスタコラと去っていった。

 

その集金人が十数年の時を経てまたやってきたわけだ。

昨年の10~11月だったかに郵便で受信料を払ってない方は速やかにお支払いください、払わないと然るべき措置をとりますよ的な書簡を受け取っていたけど無視してた。

何故ならば地デジに対応しなかったからだ。

集金人が来た際、地デジに対応しなかったのでテレビの機器自体はあるがDVDプレ-ヤ-をみるためだけのモニタ-でしかない。

奥から聞こえるこの音はなんだ?と聞くので、パソコンのユ-チュ-ブで空母信濃の特集を見てただけだと説明したけど怪訝そうな顔をしてたので、疑うんなら中に入って見てみろ!と言ったら家屋内には入ってはいけないことになってるという。

家主が入っていいというのだから構わんだろうと言っても入れませんと拒否した。

オラが学生の頃はズカズカと入ってきたのにこの警戒感・・・N国党が効いてるのかいな?。

昨年にガラから買い替えたスマホもまともに使えないくらいのアナログ人間だから当然ワンセグって奴でテレビも見れないようになってるし・・・なんならここまで持ってくるか?と言ってもそれには及ばないという。

ならばもう来ないでくれるか?うっとうしいからというとそういうわけにはいかないとおっしゃる・・・。

何年か後にまた来るのかよ、玄関先に『N国党戸山連絡所』とでもステッカ-作って張っとくか?張る訳ないわな、嫌いだもん。

 

 

【後輩】

 

オラの中学の一個下の卓球部の後輩から電話が来た。

彼は現在オラが指導に関わっている高校卓球部のライバル校のコ-チとして活躍している。

そんな間柄ではあるがどこからともなくオラの体調不良を聞きつけて心配して電話してきてくれたらしい。

有難いことである・・・。

お互いの近況報告などしながら、彼がそれではお体に気をつけくださいと電話をクロ-ジングに入ろうとする・・・そんなのオラが許すわけない。

孤独で会話に飢えてるオラは仲間内から電話魔として認知されてる。

オラの山仲間の若い連中はこの辺をよく心得ていて、あの手この手でオラの追撃を躱そうとするのがまた面白い。

だが、オラも時折ヨダレの出る情報を流すから無視できないというところでオラの蜘蛛の糸に引っかかる訳だ。

その日、気のいいオラの後輩は延々一時間余りオラと会話する羽目になったのだが嬉しかった。

この孤独を紛らわせるにはデレ猫かバカ犬を飼うしかないと思ったりしたが自分の余命に自信が持てない限りこれらは飼えないと思う・・・これまた悲しからずや。

【けんますクッキングと 江戸長火鉢に嵌る】

 

オラは料理は嫌いじゃなく、作ってる分には割と好きである。

凝った料理もごくたまにはするが(一週間掛けてビ-フシチュ-つくるとか・・・)。

でも、B級グルメ的な安く早くおいしい料理に目がなくてすぐに飛びついてしまうんである。

何故かと言うとそれは多分酒呑みだからだろう・・・。

 

けんますクッキングなるユ-チュ-ブのチャンネルがあるのは以前から知ってたがちょっと見ただけで他の動画に移動してた。

その理由はまず顔が気に食わない(失礼!)というのと、UP主がやたらハイテンションであることや、言葉の使い方が(具材にやたらとちゃん付けしたりとか・・・)気に食わないとかであった。

それが何回か見てるうちに作りたい料理や酒の肴の趣向が割とオラと合っていると気が付き、最後まで見ているうちにあの顔にもト-クにも慣れてきた。

すると、このレシピ試したいなとかで見る回数が増えましたな。

見れば明らかにオラより年下なので、飲み会の席の隣であのようなテンションではしゃがられたら頭を『ポコポコヘッド』したくなるところだが、見慣れていくうちに『可愛い(いい奴なんだよな・・・ うるさいけど・・・)』に思えてきた。

今は普通の観念で見れますし、新着動画も楽しみに見てます。

 

もう一つ嵌ったのが『江戸長火鉢』なる動画。

UP主の音声とかはなくて調理の音に合わせて字幕で解説するスタイル。

昔ながらの食材や調理方法を取り上げつつ、オイラの大好きな池波正太郎世界も度々紹介してくれるってのも嬉しいったらねエ・・・。

あぁ・・・オイラこんな昔のちょっと肌寒い部屋で火鉢を前にチビチビ呑むのが憧れだったな~。

火力を即座に変えられない代わりに、じっくりと火を育てたりなだめたりしながら自分好みの味に仕立てていく・・・旨口の酒で流し込みながら、傍らにはデレ助の猫がいる・・・。

構ってくれと必要以上にじゃれて来る猫の額に『こりゃ!』とキセルの首で軽い一撃を加えたのちに顔をわしずかみして揉みしだく・・・。

こんなことを夢想してニヤニヤしてるってのは老境の域に入ったことに他ならないんだよな・・・。

【スポ-ツと言霊その②】

 

言霊とは、ウィキペディアから引用すると声に出した言葉が現実の事象に対し何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起き、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた・・・とある。

何が良い言葉で何が悪い(不吉な)なのか、確実に定義され、実証されたことはないとは思う。

しかし体験的にはあるんだこれが・・・。

先に結論を言ってしまうと自信の表れとか勝利への欲求なのか『勝った』『負ける気がしない』とかは勝負前に絶対に言ってはいけないと教わってきた。

不吉な言葉とは認識し難いだろう。

だが多分これが試合中にちょっとしたことで相手に流れが戻されたか?という時に強烈に、あるいはジワジワと恐怖心に変わったりするのです。

以前にある中学生女子卓球部の指導に関わった際に団体戦で、オ-ダ-次第で勝敗が決まると指導陣一致の意見となり、指導陣の読んだオ-ダ-がピタリと嵌りました。

選手らにも監督がオ-ダ-勝負とは言ってたみたいですが、ギリギリの戦いですから俺らは絶対に『勝った』とか言ってはいけないし、態度にも出してはならないと釘を刺してはいました。

だけど、オ-ダ-交換の際にこちらのメンバ-の子が思わず大きな声で『よし!勝った』と言ってしまったらしいです。

その子が対戦した相手は実力的にはその子が負けるはずないほどの実力差であったのにも関わらず自滅して負け、結果流れが大きく変わり負けてしまいました。

今でも苦い思い出です。

つい先日も全国高校サッカ-選手権にて青森代表のY高校が決勝へと駒を進め、その意気込みが地元紙に載りました。

前年度も優勝しており、今回は二連覇がかかってます。

勢いに乗り、経験も重ねている故か『負ける気がしない』と選手のコメントが掲載されたのをみてオラ『あっ、マズイ!』と不吉な予感を感じました。

結果は逆転負け・・・でした。

 

話は少し変わりますが昨今のスポーツ界では試合前に『楽しみたい』という言葉が使われてます。

オラはこの言葉は極めて繊細で微妙というかできれば使わない方がいいんじゃないの?と思ってます。

使った本人がこの言葉でリラックスできたり精神面を落ち着かせることができるならいいでしょう。

だけどこの言葉を使った(発した)選手の非常に多くが失敗しているようにも思えるんですよ。

思うにこの言葉はかなり『人を選ぶんじゃないか?』。

何を偉そうに!と言われてしまいそうですけどオラは怖い言葉だと思ってます。

この辺が本当はどうなのかスポーツ分野の精神科医の研究を期待します。

そして、言葉には意味があり得体の知れない魔力があると信じています。

 

【スポ-ツと言霊その①】

 

昨年の初めころに指導に関わっている卓球部の女子に質問をした。

①スキ-ジャンプの高梨選手

②テニスの大坂選手

③フィギュアの紀平選手

④男子テニスの錦織選手

 

以上の中で今後も世界選手権や五輪、その他のビッグマッチに彼ら(彼女ら)は優勝できるか?できると思うならその根拠は何か?言ってみてくれと。

ウチの選手らが全員ここに挙げた選手は勝つと答えたが根拠は?と聞いたら誰も何も答えられなかった。

まず、ウチの選手が今一つ二つ伸びることができない理由がここにもあると思った。

オラは自分の意見を個人的ではあるが、と前置きした上で以上の選手は勝てないんじゃないかと思っていると述べてその理由を話した。

まず、ジャンプの高梨選手。

まだ連戦連勝をしていた頃だが、急に化粧をするようになりオラはあれっ?と思った。

化粧が成績の下降を招くという非科学的なことを言うつもりはないが、勝負事の世界では勝っている時のジンクスやル-ティンや環境を変えてはいけないという不文律が存在する(信じるも信じないもあなた次第というレベルだけど・・・)。

例えば野球のイチロ-選手は食事もトレーニングもバッターボックスに入ってからの仕草も引退時まで一切変えなかった。

好きではないが横綱白鳳も土俵入りの際に左右の足のどちらかから入るかも変えてないと聞く。

彼女の場合はその時点で思ったのが身長が低いということと、外国勢のライバルが一発はあるけど二本ジャンプを揃えられないという技術的欠陥を持ってたので、そこを克服されたら勝てなくなるのではと思ったのだ。

この競技は昔はスキ-板の長さに制限はなかったのだが今は身長に対する比率が決められているはずだ。

公平という名のもとにどこかの国が勝ち続けるとル-ルが曲げられるという例かもしれない。

高梨選手は安定したジャンプを並べられるという技術力で勝ってきたが、技術が追い付かれた今は浮力を得られやすい外国勢が断然有利になったとオラは見ている。

 

テニスの大坂選手はどうか?。

先に言うけど上記に挙げた選手の中では今後も勝つチャンスがあるのはこの人だとオラは思う。

オラが最初にこの選手の姿を見たとき、あれっ?ウエイトオ-バ-じゃない?と思った。

それが4大大会で優勝した時にかなりシェイプされてた。

聞けば、その時のコ-チが彼女を説得してかなり体重を絞ったのだという。

そこまでは良かったのだが、彼女はこのコーチを解任してしまう。

環境も変えてはいけないという意味では反してるけど何か理由があったのだろう。

けれども成績は確実に少し落ちているように見える。

先日もボ-ルやラケットをコ-トに叩きつけたりしたように、彼女には精神的メンタル面が幼いように行動や言動から感じる。

ちょっと我儘なところがあるのかも知れない。

その幼さが故に彼女の言動の可愛さになってるむきもあるが・・・。

今後彼女が世界のトップに君臨するには技術・フィジカルの面もそうだが、精神面を強力にサポ-トできるスタッフが必要なんじゃないかと思う。

 

フィギュアスケートの紀平選手はどうか。

この選手は凄いとは思う。

浅田選手以降男子の活躍もあり、注目度も観客動員なども激増したこの競技だが、未だ競技を続ける上で金銭的自己負担が多すぎると言われているが、よくぞこんな選手を育てたと感心する。

で、紀平選手は今後勝てるか?というとノ-チャンスに近いんじゃないか。

紀平選手ならロシアのメドベ-ジェワやザギトワともその時の出来次第で勝負はできると思わせたが、その時点でもっと凄いのがいた・・・。

紀平選手を最初に見たときに日本にこんな選手が育ってたんだと感激したのも束の間、TV取材で年齢制限でシニアの大会に出れないがザギトワも勝てないロシア選手が3人もいると紹介されてた・・・ショックじゃ・・・。

その三人がシニア大会に出てきたらあっさりと過去最高得点を更新したんだっけ?。

コストルナヤ選手らがそれだ。

紀平選手には頑張ってくださいとしか言いようがない・・・。

ここで一旦話は逸れるが、浅田選手は生まれるのがあと数年早かったら五輪他のビッグタイトルを複数獲得していたのではないかという話。

年齢制限でシニア大会に出られなかった時に既に彼女は技術的には世界のトップクラスだったはずだ。

年齢が増すに連れ、彼女の体はジャンプを飛びやすい女の子の体型から大人の女性へと変わっていき、故障が増えた・・・。

競技寿命が短いスポ-ツ競技において五輪というものは生まれた年に既にある程度結果が決まっているという説を思い出す度に浅田真央ちゃんが頭に浮かぶ・・・。

そして女子フィギュアスケートには日本が生んだ大選手がいる。

女子のフィギュアスケートの概念を根底から覆したとも言える選手。

その名は伊藤みどり。

はっきり言って美人じゃない(失礼!)。

背が低くてお尻が大きく太腿が太い!が、それ故に彼女が当時の女子フィギュアスケートの概念をぶち破った。

当時の女子では考えられなかったトリプルアクセルを成功させたこと!。

当時の採点基準では演技面で(体型その他が)相当不利だったと思われるのだが見事に銀メダルを獲得した。

この競技における日本の至宝であると言っても過言ではないと思う。

 

最後に男子テニスの錦織選手はどうか。

彼は日本の男子選手として最高の成績を残しており、その実績を積むための最高に近い努力を継続していると思う。

が、惜しむらくは体力が持たないんだと思う。

ビッグタイトルを掛けた大会のベスト8辺りで彼の体は悲鳴をあげる。

日本人としては決して小さい方ではないが欧米勢と比べると体格も、筋肉の質も骨に付いてる腱の質も現時点では敵わない。

テニスの恐ろしさをここに感じる。

だが、彼の奮闘によって次世代の有望な選手が出て来るかも知れない。

日本人でも、この体格でもここまでできると示した彼の功績は大きいと思う。

 

てなことをウチの選手にベラベラと講義したんだが、全く興味ないという顔してたんだわさ・・・。

オラ多分もうすでに指導者としてのセンスが欠落してるんだなと落胆した。

電話営業

 

1月11日午後8時過ぎ・・・その電話は鳴った。

 

店舗営業を終了すると同時に、旧店舗で使用していた回線は廃止した。

開店当時に不要にNTTの職業別電話帳に載せたせいで用のない業者からの電話とFAXに悩まされてきた。

開店当初に多かったのが広告代理店、電飾看板屋、HP作成屋等々だが、やがて農家の産直販売、闇金、犬猫屋が増えて、次第に電気代が安くなるという業者と光回線に関する業者が多くなった。

はっきり言って迷惑なほど掛かってきた。

電話が来ると『お前らみたいな電話営業で引っ掛けてやろうって業者が一番嫌いやねん!オラと商談したかったらお前自身がここに来い、でも多分契約しないからわざわざ青森くんだりまで来るようなアホやったらお~いお茶くらいは飲ましたる』と言ってた訳。

もう一つ言っておこうか。

このNTTの職業別電話帳に載せたらどうなるか?。

オラのように不具合の方が多いから掲載を止めようとしても、そうはNTTが卸しませんねん。

担当部署になんぼ電話しようが一生繋がりません!。

曜日を読んだり、営業開始、終了間際を狙っても繋がりませんのですわ。

この回線の先に誰かおるんか?と疑うレベルす。

頭に来たオラのビジョンには回線1本、その先に96歳のババがお茶をすすってるという光景しか浮かびません。

旧回線を廃止したのでやっと平穏な日々を取り戻せたと思っておりました。

 

転移後の常設電話が久々に鳴った(光回線に改修後)。

業者『私〇〇××の××と申します』

オラ;『あに?(何?)』

業者『今お使いいただいている光回線の利用に関して何か問題はございませんでしょうか?』

(途中省略、要は乗り換えさせようという業者からの電話)

オラ;『オラが回線の契約してんのト-メイってとこだけどあんたとそこと関係あるの?』

業者『別な会社になります』

オラ『オラんとこ先月に常設電話の回線をアナログから光に変えたばっかなのになんでオラと契約してないあんたが光に変えたと、この番号知ってる訳?おかしくないか?』

『誰がオラんとこの番号を光に変えたとお前ェんとこに流してんだ?どうやって知ったんだ?答えろ!』

業者『市外局番から検索して・・・掛けてます』

オラ『お前アホか?オラ90歳の爺じゃねえぞ!声聞いて物言えよ!市外局番からならホリエモンだろうが宮崎哲也だろうが上念司だろうがひろゆきだろうが検索できる訳ねえだろ!』

業者『実は下4ケタの番号からランダムに掛けてます・・・』

オラ『適当なことを・・・いよいよアホ・・・ってより犯罪的だぞ』

『ってことはお前の会社迷惑電話掛まくってるってことになるだろうが、それ本当ににやってんのか?そのお先棒担ぎよるんか?ちゃっちゃと答えんか!』

業者『・・・・』

オラ『返答せんか!黙ってても分からんわい!』

業者『・・・(なんかシクシク泣いてるような・・・)』

オラ『もうええわ!お前が本当のこと言わんでもこの状況で掛けてこれるソ-ス出せるのって〇〇Tしか考えられねえよな、どんな図式か知らんけど下受けに競争させるとかそういうことなんだろ、どうだ?』

者『シクシク・・・』

オラ『お前さんきつかったかも知れんけど俺の契約してるト-メイのオペレーターならこんなの簡単に切り返ししてくるで、しかも俺を怒らせることなくな。大体今何時じゃと思うん?8時22分やど?初めての先に電話営業する時間やないと思うぞ(オラ的には午後19時までと思うんだが?)』

図らずもこの業者の女の子泣かしちゃったけど、前からどこから情報提供受けてる?という疑念があった。

個人情報保護法ってなんじゃいとも思ってた。彼女には可哀そうだったかも知れないがきつい社会勉強?だっておかしいんだもん。

そして、ト-メイの女子OPならこの程度は簡単に切り返してくるから逆に注意ね((笑)。

ト-メイ最強!。

 

 

タクヤ再び・・・

 

昨年末に若かりし頃結成していた高校の同級生で元組んでたバンドリ-ダ-かっちゃんから連絡があり、彼の弟のバンドメンバ-でギタ-を弾いてた現プロミュ-ジシャンのGI君が帰省したので一緒に飯でも食わないかと誘いを受けたので行ってきた。

市内のびっくりドンキ-でハンバ-グなど食しつつ会話を楽しんだ。

GI君はテレビやその他のメジャ-な媒体に出ることはあまりないので、芸名を上げても多分ほとんどの人が知らないだろうけど日本のトップミュ-ジシャンに絶大な信頼を置かれてる人物。

業界の難しい会話を聞いてもよく分からないから昔話やとりとめもない会話で、しかしそれなりに楽しい時を過ごして分かれた。

 

年を越してまたかっちゃんから連絡が来た。

オラ達のバンドでギタ-を弾いてた『タクヤ』から実に久しぶりに連絡があったので、GI君も含めてメシ食わないかとのこと。

タクヤはオラの店に1~2回遊びに来てくれたこともあったけど随分久しぶり、勿論OKした。

タクヤは同じバンドにもう一人いたギタリスト『ヒデオ』とはちょっと対照的で割と理論的で繊細なタッチのギタ-ながら弾き方は凄い『手癖』で弾くヒデオと違い感性と気合で弾く直情型のギタリスト。

ちょっと亡くなった天才ギタリスト大村憲司を思わせるような『重いチョ-キング』が特徴だった。

頭がデカくて元自衛隊のせいなのか、かなり筋肉が発達した上半身に反してプリプリに締まった細い下半身という異常な体型をしており、当時オラの頭はでかいのではないかというコンプレックスを彼が和らげてくれたものだ・・・(オラより悲惨な人間が近くにいるという)。

二人とも若い頃は結構狂暴だったので、かっちゃんが当時勤めてた『だびよん劇場』で飲んでる内に、どちらの頭が固いか?とチョ-パン合戦になり互いの額が割れて流血戦になり、かっちゃんに止められたという思い出もある(アホか?)。

 

オラはこれまで生きてきてなぜか友達もしくは知り合ってから関係性を持つ知人にマコトという名とタクヤという名が非常に多い。

それだけ流行った名前なのかも知れないがとにかく多い。

で、タクヤという名前なんだが、この名をつけられた者は悲しからずや全国津々浦々、古今東西にかかわらず付けられるあだ名というものが大抵決まってる。

代表的なのは『タコ坊主』『タコヤ』『タッコング(帰ってきたウルトラマン以降)』ETC・・・・

幼少期に彼はなんと呼ばれていたのだろう・・・。

 

飲み会は楽しかった。

久々に音楽の話もしたし、営業時間を過ぎたのにも関わらず秘蔵のレコ-ドを掛けてくれた『ウエス』のマスタ-にも感謝。

だが、タクヤと話す内に、彼がしでかした武勇伝の内の半分が実は彼による捏造と判明した。

オラ彼の武勇伝の幾つかを記事で書いてしまっている。

累代、産地偽装なし!真実をのみ追及!と歌ってるオラの店のポリシ-に貴様傷を付けたな!と憤慨。

あの話もあのエピソードも全部嘘か?と問い詰めるオラの目から奴も目をそらさず『うん、半分は嘘』と言った。

だがオラの目を見つめる奴の目はまるで三歳児の濁りのない純真な目・・・。

許すしかあるまい・・・奴の被ってる毛糸の帽子の後ろをポンポンと叩いてやった。

 

ガラケ-三兄弟ついに投降する

 

固いきずなで結ばれていたはずの我らガラケ-三兄弟・・・一番最後に取り残されるのは多分オラだと思ってたんだけど・・・。

まずよっちゃんがハイテク機器の誘惑に負けてあっさりとその軍門に下り、頭の能力の低下を認識し始めたオラが意地を張る都度操作ができなくなるかもという恐怖心と値引きの誘惑に負け、フィニッシュ君が最後の砦を死守していたところ、ついに刀折れて矢が尽き、スマホ軍の軍門に投降したようである。

ところで、アフリカのマサイ族とかはまだガラケーが主力のはずなんだが、メ-カ-はどこでいつまで生産していつまでサポートするんだろう?。

やっぱチャイナなのかな・・・。

虫屋を始めた訳

 

ここから何故オラが虫屋を始めたかについて書きます。

物心ついた時から生き物が大好きで、とりわけ親の転勤の関係で暮らしていた小学校1年から6年までは大自然溢れる北海道でその生活を満喫してました。

今でも北海道と言えば自然溢れるところという印象を持つ方が多いかも知れませんが、時は昭和40年代です。

その頃既に実は原始の体系が崩れてきたかと思うんですが今考えると信じられない豊かな環境がありました。

今では全国的にほぼ見られなくなったダイコクコガネは裏山の放牧場に行けばウジャウジャいましたし、道南では棲息が確認されており今や高額な値段のつくタガメもいました。

当時住んでいた長万部高校の敷地の外れにある幅40センチほどの小さな堰での採集だったはずです。

たまに採れても『これは吸血性があるとガキの間で認識されており即リリ-スされる厄介者扱いだった』ことが悔やまれます。

クワガタはどうかというと、当時は知識も経験も伝承すらありませんでした。

走光性があるということも知りませんし、ガキは日が落ちたら家に帰ってメシ食って風呂入ってTVは殆ど見せてもらえず寝るの繰り返し。

にも関わらずなぜか昆虫に興味のあるガキは年間数匹以上のクワガタを手にしてました。

どうやって採っていたか?というと採ろうとも思ってないのに目の前を歩いてるとかそんなレベルだからどうやったら採れるのかという発想の妨げにもなるんですよ。

当時国鉄職員の息子だった4歳下の三谷君という家の玄関が枕木で階段が組まれてたんだけど、それがボロボロになったんで新調することになり、それをバラシてたら中から特大のミヤマ♀が出てきたこともありました(家屋がそのまま自然に産卵セットになっているという凄まじさ・・・というか、毎日その枕木の上をドカドカと人が出入りしてたのに羽化不全しない摩訶不思議・・・)。

オラは近所のガキの中では優秀なクワガタハンタ-ではあったのですがその栄光に浸れるのは夏休み前までです。

少し離れた学区にX君という子がおり、この子が毎年秋田の親戚(農家)に行っては大量のカブトムシを持って北海道に凱旋すると一気にこの子はラオウとす・・・。

全てのクソガキがこの子の前にひれ伏し有難くカブトムシを頂戴するという儀式に出席するのだが、その威厳が保たれるのはおよそ半年内だったような気がする(いと哀れなり・・・)。

次に言いたいのは当たり前だが、当時カブトムシは北海道には棲息してなかったということ。

今や本土から持ち込まれたカブトムシの繁殖具合を見ると隔世の感がありますね。

生まれ故郷の酒田市に住んでた保育園児の頃、たまに親父の職場の街頭に飛んできたカブトムシを採ってたもんだが、さすがに樹液採集も、ましてや餌トラップなど知るはずもない。

このころの世のガキの多くは甘いものに飢えてたんだから、カブトムシに食わせるスイカなど勿論皆無だ。

余談だが、バナナすらまだたまにしか食えなかったし、メロンなどというものは入院している誰かのお見舞いにでもいかない限り口にできなかった。

かろうじて年に何回か口にできるのがスイカと缶詰めのミカン、桃缶、そして高級品だったパイナップル缶だった。

余談だがオラ、パイナップルは缶詰めでしか食べたことがなかったのでそれは真ん中に穴が空いている果物と認識しており、生の実物を初めて見たときはダンコ抜けるか!(肛門が抜けるか)というくらい驚いた。

だから、たまに虫かごに放り込まれたスイカはオラによって既にしゃぶりつくされており、餌とは言えなかったと思う。

 

その後

 

中学に入るとき親の転勤で青森にきたわけだが、相変わらず魚釣りや海での素潜りなどアウトドア遊びはしてたが、主には卓球部の練習にいそしんでいたので好きだった昆虫採集は一切やってなかった。

その後大学を卒業し、社会人となり、現役の卓球選手も終わるかというころに誘いを受けて高校の卓球部を手伝うようになった。

ある時、オラより二歳年下の監督から『長男の夏休み自由研究課題としてカブトムシの飼育をレポ-トすることになったので鈴木さん採ってきてくれませんか?』と言われた。

小学生の頃は昆虫少年と言われたけど、ずっとやってないし青森のどこに何がいるかも全く知らないよと言ったが『知らなくても鈴木さんなら採ろうと思えば採れるでしょ』ときたもんだ。

あんた俺のことを何だと思ってんの?。

仕方なく卓球仲間でオオクワガタを飼育しているという方に聞いてみたらN山の方にいっぱいいるらしいよと教えてくれた。

そこで翌日の日中に下見にいき、夕方から目を付けた場所に入ったらものの1時間弱で20匹も採れただろうか。

こんなには要らないわなと半分ほどリリ-スした。

この時の採集の決め手になったのがカブトムシ独特の匂いだった。

樹液の匂いも漂っていたが葉っぱに隠れてよく見えず、大まかな区域の絞り込みはしてたけど、どの木についているかは夕方突入するまで分からなかった。

そこに昔嗅いだあのかぐわしい?匂いが漂っているのがすぐわかり、その匂いを追っていったら騒がしいカブトムシの飛翔音がコナラの森の木立に響いていた。

自分の中で何かが弾けたような気がした・・・。

 

それから調べたらいつの間にか外国産のカブクワが輸入解禁になってて飼育ブ-ムになっていると分かった。

もしやと、市内の大型ホ-ムセンタ-のペット売り場に行ってみたら、そこには衝撃の生体が鎮座していた。

『へ、ヘ、ヘ、ヘラクレスだぁ~!』。

ガキの頃に夢にまで見たあのヘラクレスオオカブトが今現実に目の前にいて生きて動いている・・・。

しかもこの個体、結構大きくて、♂単品で57,000円の値札が付いていた。

憧れの虫を目の前にしたこととその値段に思わず屁がブッ!と出た。

店舗に置いてた昆虫雑誌を買い、家に帰宅してから広告を出してた業者に片っ端から『リスト送れ』と電話をかけまくり、やがて届いたそのリストを見た瞬間オラの中の何かが完全に壊れた・・・。

初競りで大間のマグロを競り落とす勢いで(勢いだけね)買いまくった。

そして、この年から地元で採集もするようになる・・・。

 

 

カブクワ生活

 

子供部屋にする予定だった部屋に肝心な子がいないため、ここを改造して虫部屋とした。

最初はブリ-ドの方が面白かったが、やがて目覚めてしまった野生の血のせいで採集にのめりこんでいく。

のめりこんではいくのだが、カブトムシ以外はどこでどうやったら採れるのかがよくわからない。

バナナトラップなるものがあると知り、掛けまくるがどうも効率がよろしくない。

作り方が悪いのかと日々秘伝のタレ作りにいそしみ、掛け方が悪いのか場所が違うのか試行錯誤を繰り返した。

そう・・・情報が無かったのである。

当時の青森市で一体何人のカブクワマニアがいるのかいないのか、それすらもわからなかった。

ここまでが大体平成17年くらいまでの出来事。

それから、平成18年ごろから十和田湖の街頭周りに出没しだしたのだが、当時はまだライトトラップをする人が少なく、やっててもオ-プンで炊く人が結構多かったように思う。

 

両親の崩壊、そして退職

 

平成14年ころから親父に認知症の傾向が出てきたなと思ったら急速にそれが進行し、母と面倒をみてきたのだがオラが仕事している日中の負担が母には重かったのか、やがて母にも認知症の傾向がみられるようになった。

親父を入院させても暴れて、2週間くらいで家に戻ってくるの繰り返し。

卓球の指導もままならないし、採集にも没頭はできない。

なによりも仕事で家を空けている時に火事を出したりしないかと気が気ではなかった。

このままではいずれは一家共倒れだな・・・と思った。

平成17年に卓球部の担当が男子から女子を受け持つことになったが、この時に強くはないけどやる気と潜在能力のある子が珍しくそろって入学してきた。

初めて女子を担当するので何をどうすればよいのかわからなかったが、恐らくこの時の新入生の世代がオラの卓球指導歴のハイライトになるに違いないと見抜けてた。

ところが母の認知症がますます症状がでてきて、親父の程度にこのままでは追い付いてしまうのではと思われた。

今のままではおそらくは来年には両親二人とも施設に入れなければならないだろう。

決断の時が来た。

4月のある晩に夕飯を食べながら、二人に死ぬまでにもう一度だけ行ってみたいという場所はあるか?と尋ねてみた。

親父は子供のころに爺さんと一時期だけ暮らした宮城に、母は実家の酒田に行きたいと言った。

よし!連れていってやる、多分これが親子揃っての最後の旅行になる、楽しむべ!と話した。

母はもう長時間の移動に体力が続かなくなってたから暑くなってからでは遅い。

5月に職場に退職届を出し、旅行は6月下旬から7月の頭とした。

旅行はやはり二人の体力ギリギリではあったが喜んでくれた。

そして読み通りに親父はその夏から入院を繰り返す内に施設に入所することとなる。

母は最初親父の入所を悲しんだが、負担が少なくなったことと自身もその状況で治療を受けられるようになったことで病気の進行が遅くなったのがはたから見ても明らかだった。

さて、次は自分の身の振り方であるな・・・。

普通なら再就職先探しに没頭しなければならないはずが、戸山のかまど壊しの異名は伊達ではない!。

一生に一度でいいから虫屋のおっちゃんやりたかったんや!(心の叫び)。

実は何も知らないまま開店してしまったのだ。

 

フィニッシュ君の記事への解説

 

店舗営業終了に伴いフィニッシュ君が彼のブログで有難い記事を書いてくれた。

開店にあたっては特に広告も出さなかったが、出さなくてもこの手の店は愛好者がいるのであれば後からじわりと口コミで集まるだろうと安易に考えてた。

この先やっていけるのかどうかデ-タもないうちから高額な広告宣伝費など掛ける必要はないと思ってた。

今まで県内で愛好者と遭遇したこともなかったから、夏の間だけ飼育する小~高校生くらいはいるだろうけど、大人のヘビ-な愛好者は果たしてこの県に何人いるのか?全く分からなかった。

開店日、そろそろシャッタ-開けるかと開いたらメガネをかけたキツネ目の少年がなだれ込んできた。

このクソ暑いのにニットの帽子を被り、肘には黒いサポ-タ-を巻いてる(入れ墨でも隠してんのか?と思ったらアトピ-を隠してました)。

寡黙なこの子の第一声は『オキピありますか?』だった。

そして結局この子は閉店まで居座り、以後長い付き合いになるとはこの時点では想像できなかった。

 

その彼がちょっとした弄り返しも含めてとオラの店に関する解説記事や感想などをよっぽど暇なのねという長文記事でその歴史を締めくくってくれた。

やっぱフィニッシュ君の異名は伊達じゃないね。

それと一番深く付き合ってるせいかやはり細かいとこまで見てるねェ。

 

-互いに影響し合う-

これは店舗やって本当に良かったと思ってる。

沢山の人と知り合い、情報交換できたり影響を受けたりもあったでしょう。

開店時の店の理念はまずまず達成できたのかな、だがあれからまる十年・・・もういいべや。

 

-メディア向きじゃない人柄-

ごもっとであります、その通り!一言もありません!。

そんなの利用しないとメシ食えないんだったら鼻の穴に指突っ込んで窒息死してやる!てなもんです。

ちょっとブラックな企業に長く勤めすぎたせいか媚を売ることにアレルギーになってるのかね。

 

-鈴木店長-

とにかく入店してきてこの人は初心者だなと感じたら『何か探してますか?』くらいの言葉は掛けるけど、素人だカモが来たとすり寄って売りつけようっての大嫌いなんじゃ。

聞かれたら教えちゃいけないこと以外は納得するまで説明はするけどこちらからベラベラ話しかけたりはしなかったね。

あと入ってくるなり近寄るな話しかけるな光線を出しまくりながら来る人も結構いるもんだね。

小さな子は苦手だったのは否めない(子育て経験ないからかね)。

小さい子がそそうしたり、備品を破壊したのは全然許せる(そも店舗散らかしてたからね)けど、倒した壊したなら自分の子に大人しくしろ程度しか言わないその親には腹が立った。

壊したんなら先に済みません!だろっ!て内心思ってたの多分オラの表情にモロ出てたとは思うわ。

多分店のリピ-タ-率ってこの辺も祟って5%は絶対ないわ。

そこは反省もするけど・・・ただの気怠そうなヤ〇ザってなんだ!新調したアイスラッガ-で割るぞこら(笑)。

それと八戸の某氏がオラのこと井筒監督って言ってたって、そんなこと言うの八戸だったら肉屋の近くに住んでるあのおっさんしかいないだろ。

ま、全然OKす、愛情をもって罵り合える仲だから。

 

-以下の記事について-

大方ごもっともな意見であり実に細かいとこまでほじくり返してくれてますな。

*年明けて1~2か月ブログが更新されてなかったら十和田湖に沈められてるか八甲田山に埋められている可能性が高いですって・・・今や不肖の義理の息子であるお前さんにんなことするわけないやん。

ただ、寝てるときにパンツ脱がされて狸穴にクマスプレ-掛けられることは十分にあり得るで。

そんなこと気にせんと歯医者行ってこいや~。

 

最後に、青森県で昆虫専門店を経営するにあたってオラを苦しめたことをさらっと書いておこう。

・流通

 ネシアやフィリピン便などのフレッシュな生体が出回り始めてくるのが2~3月あたりからなんだが、問屋側でこちらの要望する梱包をしてくれないし、大概死着保障なし、あるいはそもそも厳冬期は東北、北海道への発送はお断りが多いし、仕入れ値が安いところに限ってそれが多い。

それにリスクを覚悟で仕入れてもその頃には地元の購入者は殆ど動かないので最低4月まではその在庫を在庫することになる。

更に在庫を生かしておくためにエサ代も掛かるけど何といっても保温する光熱費が大変重くのしかかる。

問屋の多くは関西に集中しており到着まで二日というのも痛い。

一日で届く関東圏の業者から業販で仕入れても、仕入れ値が高く、青森ではさばけないような高額品やコアなマニア向けが多い。

・店舗環境

 商圏人口は青森市とオラの店まで車で1時間程度と考えるとざっと40万人程度だと思うんだが、この倍は欲しいところなんじゃないかな。

東京都近郊の関東と東北の商圏人口が同じところと仮定しても集客力と購買率に大きな差がでるはずなんだ。

つまり、商圏人口だけでは販売額を正確に反映しないとも言えるのかな。

店舗は地方の虫屋の場合なら来店の移動手段がほぼ車か自転車とかだから郊外型でも構わないと思うのだが、オラを悩ませた大きな要因の一つが冬季の除雪。

朝に起床してまず自宅前を1~2時間かけて雪かきをし、店舗に行ってから2~4時間の除雪が連日続くことはままあった。

真綿で首を絞められるような日々だったな・・・・

店舗の構造にも首を絞められた。

家賃が安いのはいいけど、それだけの造りでしかなかったのよ。

地面の上に直接コンクリートの叩きを打ってその上に箱を乗せただけの建物で、どこにも断熱材は入ってなかった。

スト-ブを設置しようにも大家さんが壁に穴を空けさせてくれなかったのでファンヒ-タ-のみ。

すると厳冬期は出勤すると店舗内の室温は大体2℃。

それで20℃近くまで上がるのが午後6時過ぎ(閉店時間だってば)。

冷暖房屋である大家さんに相談したら中古の冷暖房エアコン付けてくれたから少しは楽にはなったけど、その分電気代は増えるのに低温に弱い種を保管できるには至らないというジレンマはついに払拭できなかったな。

青森で虫屋を店舗営業してみたいと今後考える人があれば、助言の第一は『諦めなさい、止めといたほうがいい』だ。

店舗だと設備の初期投資も相当掛かるよ。

青森で虫屋をやろうとするならば、勝算の可能性があるのは無店舗販売だ。オ-クションなども最大限上手に利用した上でのネットショップなら可能性があるとは思う。

だが、この形態でも青森で生計をきちんと立てて冬季の収益源もさらに補強するとなればやはり足りないかもしれない。

そこでざっと考え付くのは専属のブリ-ダ-を必要数抱えて、厳冬期は人気種の累代品、盛期はWD中心の仕入れと販売という方向かな?。

オラにはこれができなかった・・・。

信頼できるブリ-ダ-を青森近郊に確保できがたいのもあるし、心からやはり信頼できないからだ。

親しい仲間内で虫の出どころも飼育状況も把握できてて、なおかつこの人物なら間違いないと判断した場合は虫のやりとりもしたし、販売に乗せたり販売委託品として扱ったりももしたけど、それでは専属ブリ-ダ-とは言えない。

これをやってくれと渡した専属ブリ-ダ-が例えば仮に横流ししても、違う血統と掛けても、累代や産地を誤魔化しても把握もしてないし気にもしない商売なんぞ吐き気がするわ。

だけど、これを平気でやってる業界人が一番しぶといというのもこの業界の闇の真実の一部でもあります・・・。

当店の沿革並びに今後の方向性

 

何となく体調その他に不安を覚えた令和元年。

その日は突然来てあっけなくぶっ倒れた。

以前からもしそうなったら余命というか、どう生きるべきで商売も続けるならどういう形態が望ましいのかと考えてはいた。

そして自分が考えるよりも早く唐突に審判の日が来た。

そこでオラもさすがに考えた。

①店舗営業販売は年齢や周辺環境からもう無理。

②生体は低温に強い国産品中心にシフト。

③今まで以上に青森県産WDを中心にした生体の品ぞろえ。

④体への負担を抑えるべくネットショップとする。

決断してからの行動は割と早かった。

高校の同級生で青森市の何でも屋では一流(自称)というかっちゃんに連絡、見積もりしてもらって店舗のクロ-ジングまで見立てた。

 

元々前項①で書いた周辺事情に問題があった。

ここは大家さんの奥さんが趣味営業してた近所の小~中~高校生を見込んだファ-ストフ-ド店の作りで、何しろ駐車スペ-スがないのだ。

そのため大家さんの商売閉店後に借りた店舗はことごとく二か月~半年で撤退していった。

オラの店の来店客もいったいどこに駐車したらいいんだろうと思ったことだろう。

大家さんの営業時には自転車か徒歩で来店する子供たちがメインだからそれで良かったんだろうけどね。

オラの前に借りてた人はラ-メン屋で、青森でも雪の消える3月下旬?頃に開店して5月には撤退してた(笑)。

前年度から貸店舗を探してたオラだが田舎で条件も悪く、採算が採れる店舗はここしかないだろうと狙ってたわけだが意外にそのチャンスは早く訪れた訳です。

この地所が商売に向かないのは前述の通り駐車スペ-スが少ないことと、面した道路の交通量が非常に少ないにも関わらず不要にバス路線になっていることから冬季に僅かな降雪があってもすぐに除雪が入るということです。

北国の除雪というものがどういうことかと言うと、まず早朝に自宅の除雪を1~2時間かけて片付けた上で、店舗の除雪に入るわけなんですが前日に綺麗に片付けて自分の車とお客さん用のスペ-スを2~3時間かけて確保してもその日に降雪があれば割と翌日にその倍以上の固く凍った雪を押し込められます(アッフ~ン)。

信じられますか?苦労して除雪した駐車スペ-スに翌日には高さ1メ-トル、奥に2~3メ-トル押し込めるんですよ?(しかも路面を削った大きな固い氷塊を・・・翌日出勤すると鉄スコップじゃないと崩せない雪壁が山盛りに奥まで

押し込められてるわけです)。

これは一体何の嫌がらせなんじゃ?俺が何か悪いことでもしたか?と市役所に問い合わせし、改善を求めますが要求が満たされたことはほぼありません。

これ以上は押し込めないでくれと置いた赤いコ-ンは翌日には無くなるし、こんな感じでお願いできないかとオペレ-タ-に缶コ-ヒ-を差し入れしたこともあるけどオペレーターも替わるし、担当業者も毎年替わるのでまるで効果なし。

大体が、本当は言いたくないけどオペレーターの技術が低すぎ!。

昔は土建屋の百戦錬磨のオペレーターが担当してた時は早いし綺麗だし『お主・・やるな!』という仕事をしてたもんだが、市が支払う手当が利益に満たないと敬遠されて代わりに参入したのが造園業者や自動車修理工場の業者。

自動車修理工場はほぼ論外で、造園業者は穴を掘るのは上手なんだけど面を搔くのは下手なんだな・・・。

上手下手のそれが後にどう影響するかというとスピ-ドもそうなんだが、へたくそがやるとどうなるかというと、玄関前の花壇を破壊してコンクリートブロックごと除雪してしまうということも起こる訳。

オラの筋向い前に住んでるお爺さん、実は青森の土建業界でこの人あり!と言われたオペレーターだったんだが、この家の花壇を破壊したのに俺がやったんじゃねェ!と担当オペレーターが言い張ったもんだから大変なことになったらしい。

結局その爺さんに確かな証拠を示され技術の未熟を指摘され、市の中間管理職は這う這うの体で誤り、保障したとのこと。

この後に技術が伴ってないかような業者に任せるとどうなるかというと、ここまでは削ってほしいところが果たされずその後の作業に影響したり住民の負担になり得るということであります。

 

 

近況報告】2019.12.26

 

まず、10月15日の夜中に大吐血して人生初の救急車で総合病院に搬送されるという憂えき目に遭いました。

その後も各種検査に通う日々が続いております。

吐血の原因はどうもタバコの吸いすぎで(1日約40本)肺から出血してたようです。

医者からいつから喫煙してたのかの問いに『二十歳から・・・』と答えたわけですが、勿論これは大嘘で14歳くらいからなんだな・・・(しかも親父の吸ってたハイライト)。

肺癌その他の疾病にかかる確率は一日当たりの本数×年数というごもっともな説明を受け、禁煙の為の入院治療を勧められたものの丁重にお断りし、現在はキャスタ-ウィンストンの1㎜gを一日一箱20本前後にチルチルミチルのフィルター付けて吸っております。

 

当初診てもらってた呼吸器内科で、その他の症状(胃液の逆流や嘔吐、眩暈と足元のふらつき、下痢などなどの諸症状を訴えたところ消化器内科にまわされ、検査したところ、貧血ではなくどうも酒の大量摂取が災いしているのではないかとの見立て。

肝機能の数値を表すγなんたらかんたらが通常値30~50以内が正常値らしいところ3,700なんぼを記録いたしました(パチパチ)。

あんた一体毎日なんぼ呑んでいるのかね?という問いに、一日焼酎をお湯割りで2~3合という真っ赤な嘘をつきました(フヒョ~♪)。

実際には1.8ℓの紙パック焼酎を二日で1本!でありました・・・。

医者からもう少し長生きしたければ今夜から直ちに禁酒して下さい!と言われたが『もう少し』ってどうゆう意味じゃい!と思いましたな。

その晩から思うところがあり、親子2世代に渡って溜め続けたガラクタを廃棄する作業にとりかかったのでありました。

同時に同夜から本当に断酒し、17~18歳から途切れることなく愛し続けた酒を断ったのです。

12月23日、消化器内科の診察にて採血検査したところγなんたらの数値が800なんぼまで落ちてました。

思わずうお~!と叫びたくなりましたが、正常値30~50なのですから喜ぶには値しませんね。

ただ、下痢が止まりました、胃液の逆流もなくなりました、眩暈と足フラフラもなくなりスタスタ歩けるようになりました。

やっぱ肝臓が疲弊してたのかねエ~。

 

ついでに言うと飲酒してた際には見向きもしなかった甘いものに目覚めてついつい買い物袋にスイ-ツなるものを忍ばせる事態に陥ったことも白状しておきます。

友人に『実はさ、今エクレアとか見ると我慢できなくて午後3時と夜中の12時に食べてんのよ』と言ったら『うェ~!似合わねエ~!見たくもねェ~!』と言われてしまいましたな・・・。

 

今回記事の本題はここからです。

優先順位という言葉があります。

一旦体や環境をリセットして再度道を歩もうと決めました。

今年のシ-ズンには念願であったかつて暮らした北海道採集遠征を達成したいし、ライフワ-クであった青森県のオオクワ生息分布地図の解明も推し進めたい。

そのためにまず体全体にチェックを入れてラストスパ-トに備えたいんであります。

そのために毎年初売りを楽しみにしてくれたお客様には申し訳ないのですが、今年は販売を見送らせていただきたいのです(病院通いのため既に商材集めもままなりませんでしたので・・・)。

来春3月下旬から4月にかけて再スタートできるように頑張ってみたいと思います。

 

店舗再開いたしました】2019.7.1

 

6月28日より営業を再開いたしました。

母の死でその後の相続手続きなどをしていた訳ですが、実は平成25年に亡くなった父の手続きも当時母がすでに認知症だったがためにできなかったのです。

なので一度に二人分の手続きをする羽目になり、市役所など何回も往復しました。

 

母の葬儀等を終えて分かったことがありますので書いておきます。

今回も葬儀屋さんから新聞のお悔やみの欄に載せますか?と聞かれたのでお願いしますと返答したところ、載せると金融機関の口座が凍結される可能性が高いので必要なら今のうちにおろしておいたほうがいいですよとのことだった。

ところが、親父の時は取引していた金融機関は全てノ-チェックだった。

今回、一緒に高校卓球部のコ-チをしている某信用金庫の支店長にインタビュ-したところ、彼の会社ではお悔やみ欄はチェックしており、口座の凍結もするとの返答。

しかし、実際には県内の地銀2社はやはりノ-チェックで、親父の死亡後に保険金の請求をした際に大揉めに揉めたY銀行だけが凍結されていた。

その際に結局死亡保険金も入院保険金も出ると店頭の職員が返答したのに書類をそろえて再び再訪したらどちらの保険金も本来の相続人である母が認知症になっているので出せないとなりトラブルになったものである。

この交渉時に実はオラ、その保険の条項を調べ上げて、事務管理者として認められれば死亡保険金だけは請求できると知った。

そこでまた店頭に行ったが相変わらず出せないと言ったことと、更にその上に虚偽の説明をふたつオラにしたのでさすがにブチ切れた。

この手続きを仙台の専門部署に聞いてみろ!それからさっきの説明に嘘がふたつある!と指摘したら口をアングリと開けていた。

その後この件を解決した後に店頭職員はこう言った。

父の入院保険金は要綱を満たしている限りいつまででも請求できると。

だが、今回母の手続きに自宅に来た専門部署の人によってこの説明はトラブルを起こしかねない極めて不親切な説明だったことが明らかになった。

その専門部署の人の説明では

①基本的には死亡後に請求できる期間は5年。

②入院の証明書があるかどうか(つまりその病院にカルテが残っているか)が重要

とのことだった。

実際には8年経過した案件に出した事例もあるとのことだったが、とっとと手続きしたほうが良いということになる。

そしてこの会社の説明はまるであてにならないから事実を文書でとるか、録音しておくことをお勧めします。